曇天。文芸部室の窓から見上げる空は灰色で、外界は退廃美に覆われている。

 午後四時過ぎ。やや肌寒い部室は電灯のおかげで人の存在を匂わせる。隔絶などされていない。ここは確かに学校の一部で、人々がごく普通に、ごく当たり前に、存在する世界だった。

 ただし、中にいる人間が、そうとは限らない。

「……あれ、朝比奈さんと、ハルヒは?」

 お茶でも飲みすぎたのか、トイレに行っていた隙にいるべきはずの二人がいなくなっていることに、キョンは気付いた。代わりに古泉一樹の姿がある。やぁ、といつもと同じく、爽やかに片手をあげて挨拶をする姿は、まるで存在を無視したキョンに対するあてつけのようでさえ、ある。

 答えが無いことに、動じることは無かった。キョンは古泉に手をあげ挨拶を返し、先ほどまで自分の座っていた椅子を引き寄せる。何か、起こるか。起こらなければ、いい。祈るような気持ちだった。

 SOS団――――「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団」は、名が表すように、珍妙で奇妙な出来事を、最早、我々が体験してしまう同好会だった。我々、というより主にキョンが、であるが。

 様々な体験をし続けてきたキョンではあるが、それは日常茶飯事ではない。毎日毎日、事件などが起こるはずがなく。その貴重な青春の大半は、根城としている文芸部室での暇潰しに費やされていた。今日もまた、そんな一日である。決して、特別などではない。

 そうだよな、ハルヒ。呟くように、祈るように。キョンは机に突っ伏した。

 ふと、組んだ腕の隙間から。長門有希の手にある書籍のタイトルが見えた。どんな難しい本を読んでいるのか。そう思ってキョンが目を凝らすと、新約聖書の四文字が見えた。

「何だ、それ」

 失言だった。身を起こして質問をし、返ってきた答えは、長々と続く新約聖書についての解説だ。呪文のようなそれを全て聞き流し、細目で長門を見る。幾分、抗議が含まれた視線だった。

「……面白いか?」

「宗教は人類が作り上げた一種の神話体系に似ている。人間が古来より持つ高水準の文化を知るいい材料。それに」

 長門は一度、言葉を切った。そこにはうんざり顔のキョンに対する配慮があったのだが、本人は気付いていない。

「涼宮ハルヒが求める『事件』に現実性を持たせるような、人智を超える何かを説明するのに宗教は手頃だから」

 キョンはやはり、少しも理解が出来なかったが、満足したのか長門は再び聖書に目を向けた。彼女が思ったのは、要するに涼宮ハルヒに対して嘘が上手くなる本だということだ。もちろん、そんな彼女の好意を理解した古泉は、口を半開きにしたままの男に微笑むだけ。解説は、止めにしておいたようだ。

「さて、頭の体操と参りましょうか。どうです?」

 代わりにチェスを出し、クイーンを片手に古泉はキョンを誘ってみた。

 

 二戦目を終えたあたりで、眠気を吹き飛ばす声がドアから聞こえた。振り返る。壁面に叩きつけられたドアの先に、いつも以上に珍妙な扮装(コスプレ)をした二人組がいる。眩いばかりの真っ赤なコートに身を包んだ涼宮ハルヒと、赤い大きな鼻が特徴的な朝比奈みくるだった。

 何だソレと、問うようにキョンは訝しげな視線を送った。もちろん、今回も訊ねたのが失敗の始まりである。

「ナニって、サンタとトナカイ。クリスマス・ヴァージョンのコスプレに決まってるじゃない」

「ああ、そりゃ見てわかる」

 問いたいのは、何故、その扮装をしているか。わずかも通じない会話に辟易しながら、キョンはもう二の句を告げることを諦めていた。

 季節は、冬。冬季休業も差し迫った今日、クリスマスに染められる理由は理解できる。

「アンタが、ソコで、爆睡してた時の話よ」

 今、まさにキョンが座っている位置を指差しながら、やや憤慨した様子でハルヒは語り出す。

 “サンタクロースはいるの?”と、ハルヒに訊ねる間抜けがいたらしい。小学生、あるいは幼稚園児までが持つ小さな夢だ。朝、枕元に置かれたプレゼントを前に、煙突からの闖入者に夢を馳せる。

 だが、もう高校生となった今では。不思議でも何でもなく、クリスマスという習慣に基づいた父親の仕業としか思わない。キョンはそこまで考えて、ある事象に気付く。そのサンタクロースは、どこか目の前の連中に似ているな、と。UFO然り、宇宙人然り。

 ハルヒが興味を持つのは当然だったかもしれない。時期が時期だ。彼女は強引な持論を展開し、ここにサンタクロース捜索隊が結成されるに至った。

「サンタさんというのは、アレだ。ニコライさん」

「誰よソレ」

 おぼろげな知識をキョンは思い出す。確か、小学か中学の時、終業式の後に出た給食の中にクリスマス・ケーキがあった。箱の側面に書かれた伝承を、途切れ途切れに思い返してみる。

「聖人だ。セント・ニコラウスといって、貧しい子供たちにプレゼントを配ったそうな。ほら、名前を五回くらい連続で言ってみろ。サンタクロースっぽいじゃないか」

「確かフィンランドを居住地にしているんでしたか、今は。北海道にもサンタの家はあったはずです」

「ほら見ろ。サンタさんは実在するんだよ、ハルヒ。わざわざ探すまでもない」

 初めて、勝った。キョンは感慨深く、満足げにハルヒを見上げた。

「――――なら、会いに行きましょ」

 キョンは言った。サンタはいる、と。

 自分の迂闊さに多大なショックを受けながら、どうすれば止められるだろうかということだけを考え続けた。そして、結論。無理である。一度として、止められたことがあっただろうか。

 せめて冬休みまで待ってほしい。出来れば、市内がいいと願いながらキョンは再び机に突っ伏した。

 

「アンタ、どーせヒマでしょ。調査。いつどこにサンタがいるのか、調べなさい」

 団長の根も葉も動機も、あるいは根拠さえ見当たらない命令により、キョンはサンタ調査を開始した。孤独である。しかし何かを調べるなら、邪魔の入らない一人の方が都合はいい。こればかりは、手がかりナシでは通らないだろう。

 馬鹿馬鹿しい、やめてしまおうと思った。だが、言い出したのは他ならないキョン自身でもある。これからは口を挟むのは止めにしよう。そう一つ、決意してから、前に長門と訪れた図書館に足を踏み入れる。

 サンタクロース。これは、最早、人名ではない。現象だ。日付は各国によってまちまちだが、おおよそクリスマス・イヴの深夜にトナカイのソリに乗って訪れ、煙突を使い屋内に侵入し、子供にプレゼントを贈る。その方法は靴下にプレゼントをブチ込むというものだ。

 見た目は、肥満体。白い髭を持ち、赤服。肩にプレゼントの入った白い袋を担いでいるようだ。そしてトナカイが引っ張るソリに乗り、空を駆けて家の屋根に降り、煙突より侵入を果たす。

 住所はフィンランド。北国、ということらしい。各国に営業所を持ち、日本にも存在する。東京や長野、北海道だ。さらに青森には直通の郵便局があるようだ。フィンランド在住とのことだが、各国によってグリーンランドやノルウェーとの説もあった。

 この無差別家宅侵入者は、やはり人ではない。現象。誰でもいいのだ。中略してもいい。要するに、クリスマス前後に子供にプレゼントを与えるという行為そのものが、サンタクロースを生み出すという現象。そして行為をする人間が、テンプレートに従い扮装などをし、より「本物」に近付こうとする。

 サンタクロースはどこにでもいて、どこにもいない。そう、結論付けた。

「じゃあ……クリスマスになればどこにでもいる、ってことで」

 資料として持ち出した、サンタ小冊子やらを片付け、帰る準備を始めると、唐突に声をかけられた。視線はまず大きな胸を映し、それからやや巻いた髪を見た。

 朝比奈みくるは小さく挨拶をして、いつもと同じくにこりと微笑んだ。

 

 場所を変える。どうせ二人だということで、少し洒落た喫茶店へと足を運んだ。キョンは少し上ずった心境で対面に座って、無難にコーヒーを注文した。注意深く観察するが、彼女もまた同じ答えをウェイトレスに返していた。

 調査の結果を簡潔に報告する。こちらの様子が心配で駆けつけてくれたのだろう。あるいは手伝うつもりもあったのかもしれない。何にしても、まずは報告することだ。

「朝比奈さん。これは無理です。本気でフィンランドかもしれませんよ」

 やや絶望的な口調になった。いくらハルヒでも、渡航するとまでは言い出さないだろう。だがそうとは言い切れないのがハルヒでもある。

「……ったく。どこの間抜けですかね、言いだしっぺは」

「キョンくんの妹さん、だったと思いますよ?」

 思わず、頭を抱えた。兄妹揃ってハマっている。

 ウェイトレスが注文したコーヒーを運んでくる。受け取る。それに口をつけつつ、何気ない会話をした。至って普通な、他愛もない話である。学校の話。テレビ番組の話。後は禁則事項だ。

 やがて日が暮れ、ティーカップも空になる。それなりに長居したのかもしれない。出ましょうか、とキョンが誘うと、頷かれる前に名前を呼ばれた。浮かしかけた腰のまま、上目遣いの彼女を見る。

「あの、わたしと、付き合ってください」

 

 何を驚こう、(バラエティショップに)という一文が抜けた朝比奈みくるの一撃だった。が、気が気ではない。正気を失ったのは二人。言われた本人と、隠れながら覗き見に徹していたSOS団の団長である。隣にいる古泉は十五分ほど前から歯ぎしりしか耳にしていないが、これが決定打。

 二人はそのまま喫茶店から出る。そんな光景を、涼宮ハルヒはもう見てもいない。

「涼宮さん、二人はバラエティショップに向かいましたよ。計画通りじゃないですか」

 一言、フォローを入れてから立ち上がる。もう夕暮れ。追いかけるのは楽しそうだが、これ以上はよくない。とても、よくない。涼宮ハルヒは発狂するかもしれないし、その隣でフォローし続ける古泉の身ももたない。

 帰りましょう。一言だけ伝えて、古泉は席を立った。

 計画。朝比奈みくるが口を滑らせた時にはひやりとしたが、今のところキョンにバレてはいなかった。涼宮ハルヒに献策した、SOS団なりのクリスマス。これで団長のイライラも退屈も解消され、閉鎖空間も無くなり全てこの世はコトもナシ、という算段だ。

 12月21日。明日の終業式から、天皇誕生日を挟んで冬休みが始まる。今は準備期間だった。涼宮ハルヒによる大ドッキリ計画、とでもいえばいいのか。キョンの妹が学校に来てサンタクロースのことを訊ねるはずはない。コレは全て、作戦でもある。

 だからこそ、長門有希以外の人間が喫茶店に会していたわけだ。

「……アッタマきた。明日、見てなさいよ」

 ぼそりと呟く、発案者。あれ。どうして明日なのか、と。古泉は不安になった。

 

 近所の子供に配る品、と言って彼女は数点のプレゼントを購入した。狭い雑貨店の中で寄り添ってプレゼントを買う。まるで恋人だとキョンは鼻息を荒くしたが、途中から趣向が変わった。

「そうだ、一緒に選んでください。あとは――――」

 まだ全員分、買っていない。そう告げて、腕をとられる。どうやら選ぶまで離さないようだ。キョンは諦め、商品棚の方へと目を向けた。外はもうすっかり暗くなっている。それも当然だ。もう何軒も店を訪れ、プレゼントやらクリスマスグッズを購入している。

 なかなかプレゼントを選びきれずに、では彼女は何を買ったのだろうと両手に持った荷物を眺める。

「電飾まで。朝比奈さん、随分と本格的なんですね」

「あ、ソレは古泉くんが見つからなかったからって」

「……コイズミ?」

 あっ。慌てた様子で口を噤む朝比奈みくるを、観察する。頬が少し赤くなり、言葉どころか息まで止めている。目が泳いでいる。失言、だったらしい。答えてくれないことから察すると、知らない方がいいらしい。あえて、聞くまい。キョンはそう決めて、彼女から視線を外した。

「えっと、ぉ。あの、じゃあプレゼント選んできてくださぃ」

 おずおずと退散する。取り残される男一人。察するに、仕掛け人は古泉一樹とキョンは見当をつける。だがプレゼントの量を考えると、ハルヒ絡みではなさそうだった。あるいは単に朝比奈みくるの手伝いをしているだけということも考えられる。なら、口を割ればいいだけの話でもあるが。

 少なくとも、プレゼントを子供たちに配るのは確定だ。いつまでも放っておくわけにもいかない。目の前にあった人形を手にする。何だこりゃ、気持ち悪い。やや顔を引きつらせながら、キョンはバブル・ヘッド人形と正対した。首振り人形である。ヒゲの野球選手が首を揺らしていた。

「あぁ、もう。何でもいいか」

 それに、首を振らせてみると意外に楽しい。高校生ともなれば遊ぶことは出来なくとも、子供たちにはバカウケだろう。

 

「アンタ、どーせヒマでしょ。冬休みだっていうのに、家でブラブラしてるなら我がSOS団のために働きなさい」

 翌日。部室にてほぼ同じセリフを聞く。終業式の後、部室の大掃除をやっている時だ。長机を片付け、私物がごった返している部室を清掃する。そんな中、長門はダスキンモップを片手に読書を続けるという職人芸を披露し、朝比奈みくるは割烹着を着て床にバケツの水をブチまけてくれた。

 ハルヒが突風の如く訪れ、そう言ったのは混乱とも言える掃除の最中だ。満面の笑顔でハルヒはキョンに近付いてくる。もちろん、彼にとっては災厄でしかない。それ以上に片付けを人にさせておいて、とイライラもしている。明日から始まる冬休み、どのような無茶を言われるのか、と身構えた。

「あ。駄目だ、ハルヒ。俺、用事があるんだよ」

 キョンの勘は当たっている。朝比奈みくるを問い詰めると、古泉と結託して近くの保育所にプレゼントを届けてクリスマス・パーティをするのだとか。まさに古泉がサンタクロースになるという現象を体現するわけだが、それに乗っかればハルヒの誘いを回避できそうだった。

「お前はヒマかもしれんが、俺は朝比奈さんと、」

「――――出張。キョン、明日から北海道に行きなさい」

 言葉を遮られる。そして耳を疑う。何を。いまハルヒは何と言ったか。素っ頓狂な声を出して、キョンはハルヒを見上げた。立ち上がって腰に手を当て、眉を寄せて睨んでいる。まるでカツアゲをする不良のようだった。

「サンタを探せって言ったでしょ?だから、サンタを連れてきて。広尾から」

「広尾ぉ?ドコだよソレ」

「だから、北海道。竜飛岬の上」

「いや北海道の位置くらいはわかるが……」

 そもそも、何故ハルヒが北海道広尾町にサンタの国があることを知っていたのだろう。自分でも調べていたとしたら、キョンはまさに無駄働きだったわけだ。

「何でだ。サンタワールド事務局でいいじゃないか!」

「はいコレ、飛行機のチケット。サンタも見つけられずに帰ってきたら死刑だから」

 

 12月23日、天皇誕生日のことだ。本当に旅立ったかどうかは定かではないが、連絡をしていないキョンを除いたSOS団の面々は部室に集まっていた。

「ご覧アレが竜飛岬、北の外れとぉ〜」

 コブシを効かせて上機嫌で歌う涼宮ハルヒ。その津軽海峡の冬景色をキョンはまさに今、味わっていることだろう。本当に行ったかどうかは誰も知らないが。

「――――航空機で行ったのなら、竜飛岬は見えない」

「そうね。でも、有希?息で曇る窓ガラスは拭けるじゃない!」

 遥かに霞み、見えるのだろうか。雲があって見えはしないだろう。長門もそこまでツッコむことはせずに、オーナメントをしげしげと見つめている。床はワックスもかけ、綺麗に磨かれている。そこに映った自分の顔で眺めているのだろうか。

「持ってきましたよ、涼宮さん。ですがコレ、本当に良かったのですか?」

「あー、いいのいいの。後で戻せばいいんだから。さ、古泉クン。ココに設置しちゃって」

 掃除のおかげか、少し広くなった部室に、ツリーが設置される。職員室の前にあった樹木を拝借したのだ。観葉植物ではあるが、無いよりマシである。さぁよならアナタ〜と、歌を再開しながらハルヒは電飾を巻きつけていく。実に、楽しそうだった。

 そう、ハルヒは楽しかったのだ。

 クリスマスまではあと二日。フィナーレはどう飾ろう。思い返して、再びハルヒは苛立つのだ。

 

 文芸部室から離れ、みくるは電話をかける。どうしてもキョンが心配だったのだろう。携帯電話を取り出し、コール。まさか電波が無い、という心配も無駄で、きちんと呼び出し音が鳴っていた。

「朝比奈さん、助けてください」

 もしもし、というまでもなく。絶望した青年の声がした。

「あの、キョンくん。そこ、ドコですか?」

「サンタランドです。ははっ、朝比奈さん。アイツはマジで神様かもしれませんねェ……」

 北海道広尾町にて、キョンはもしやサンタを発見したのかと思わせる口ぶりだった。

「とにかく、用事は終わったのでこれから戻ります。上野発ではないですが、夜行列車で」

 用事。サンタ捕獲作戦の成功を匂わせて、電話は切れた。

 文芸部室のドアが開き、中から古泉がそっと出てきた。みくると目が合う。彼は目配せをするように微笑んで近付いてくるが、目はあまり笑っていなかった。

 涼宮ハルヒは、非常に情緒不安定だった。楽しみが大きい反面、苛立ちも大きい。退屈から生じる不満とは、少し違う。おそらく閉鎖空間の規模も比例して大きくなる。今日か明日か。判断は出来なかったが、間違いなく閉鎖空間は訪れる。

 回避する術も無い。鍵を握る人物は極北の地。古泉はこれ以上、密談パーティーに加われそうもなかった。

「朝比奈さん、後を頼みますよ。長門有希と二人で何とか切り抜けてみてください」

 準備がある。代役を長門に頼み、何とかするしかない。健気に頷く未来の人を見下ろして、古泉は手を振って別れを告げた。

 さて――――アルバイトの準備を、と。

 

 陽が落ち始めた。部室を染める、赤。孤独に残ったツリーの影が落ちる。

 ハルヒは腕に巻いた団長の腕章を外し、いつもとは違う場所に置かれた長机に置いた。長門有希も朝比奈みくるも、すでに帰り支度を始めている。終幕に向けての準備。早くも、まるで祭りを終えたような寂しさが生まれる。

「二人とも、帰りなさい。あたし、少し気になることがあるの」

 窓の外から夕日を見上げ、そう言った。戸惑うみくるに、もう一言だけ伝えた。はっきりとした拒絶に近い。帰りなさい、と。命令だ。厳しい口調だった。いつものように声を荒げることなく静かな言葉。故に、重く。二人はそれ以上何も言わず、去っていった。

 最近、そうなのだ。怒鳴ることもない。この想いから生じる不安と不満を、他者に見られたくはなかった。そんなみっともない真似は、プライドが許さない。だから、いつもとは違ってひどく、冷静でもあった。苛立ちは頂点に。しかし、冷静だった。

 室内の飾りつけは、まだ終わっていなかった。ツリーだけはハルヒが気にかけていたからか、電飾をまとってオーナメントで装飾されている。集合は明後日。クリスマス当日にキョンを驚かせるためのものだ。明日の午後に、最後の仕上げをする。

 星を手に取った。朝比奈みくるが買ってきたものだ。それを、ツリーの先端に置いてみた。

 孤独には慣れている。あえて、その環境に身を置いていたのかもしれない。ふと、そんなことを考えた。別に、誰でもいいのだ。宇宙人でなかろうと、構わないだろう。この空虚で空ろな魂を満たすモノであれば。何でも良かった。

 気付けば、壁があった。誰も乗り越えてこようとはしなかったし、乗り越えさせなかったのもある。周囲が駄目だ、世界が悪い。そして、いつしか自分も腐っていた。それが成長というものなら、この世はなんとつまらないものなのか。きっと、認められない。いや、認めたくないのだ。

 だから、今日も独り。認められない世界の隅っこで、鬱屈した顔を伏せる。

「――――バカ……早く、帰ってきなさいよ――――」

 夜の闇が赤を支配し、室内を黒に染めていく。

 座り込んで、ツリーを見上げる。独り。きっと本当は、新たな友も内心では辟易しているに違いなかった。必要な時に、いない。求める時に、消える。肝心な部分で、いつも彼らはハルヒを避け続けていた。避けられている、というのを。はっきりと感じていた。

 壁を作ったのは他ならない過去の自分自身で、避けるなら避けるで、良かった。放課後の時間に、いてくれる。ただそれだけで、満足は出来た。しかし満たされることはない。きっと、未来永劫、この想いは空ろなままだ。

 独り。だから今回は、とても楽しかった。満たされてもいた。避け続けてきた仲間たちが、その楽しげな密談に入れてくれたのかとも思った。いつか彼は言った。世界はアタシの知らないところで楽しくなっているのだ、と。確かにそうだ。確かに、そうだった。

 そしてまた――――独りだ。隠れるように去っていった。そう感じてしまったから、残っていた二人も追い出した。いいのだ、独りで。そうしてまた、自虐する。壁だ。自分が作った壁に、苦しむ。

 電飾のスイッチを入れてみた。独りでも楽しめる。避けられても楽しめる。そう思って、スイッチを入れた。ツリーが、灯った。煌びやかに輝く、暖色の光。浴びてきらめく、数々の装飾たち。光など無いこの世界で、穏やかにハルヒだけを照らしてくれる。

 ほら、楽しめるのよ。床に寝転がり、下からツリーを眺める。いつも見る光景とは違った角度から見ると、また美しかった。笑みが零れる。唇が広角に開く。笑い声が、静かに出た。

 ――――頬を濡らす涙が、静かに床に流れていた。

 

「あれ、長門。どうしてここにいるんだ?」

 駅のホームから、降りる。制服姿の長門が待っていた。スポーツバッグを肩から提げ、長門に近寄る。人の往来が激しいこの場所で彼女を見つけられたのは、まったくの僥倖だ。ただ長門なら、目立つ位置というのを計算していることもありえた。

「朝比奈みくるは家で梱包中」

「梱包?ああ、プレゼントのことだな。いやそうじゃなくてだな、どうして俺を待っていたんだと聞いているんだが」

「古泉一樹はアルバイト」

「アルバイト?まさか閉鎖空間か。おかしいな、俺の出張はまるで無駄骨じゃないか」

「わたしは支援。あなたを学校に連れて行けと言われた」

「何で?」

「――――禁則事項です」

 モノマネをするように、長門は感情の無い声で言う。少しも似てはいないが、首謀者の顔はそれで割れた。おそらく長門は言われたことをそのまま伝えたのだろう、とキョンは判断した。

「長門、ひとつだけ訊かせてくれ。多分、隠していることとは無関係だ」

 バックを抱えなおし、歩きながらキョンは長門を見た。足は、当然のように学校へ向かっている。

「お前たちはハルヒを願望を叶える力があると見ている。理性と欲望の均衡により世界は保たれているとも。だが、俺はふと気付いたんだ」

 北海道に立った時点で、思ったことがキョンにはあった。もちろん、今回の一件が古泉らの策謀ということも見えてくる。

「些細な視点の違いだ。ハルヒが思ったように世界が変えられてるのではなく、世界がハルヒの思ったことを叶えているんじゃないか。もちろん、意味は同じだ。だがハルヒは、叶えているのではなく叶えさせられているんじゃないかな、とね」

「……面白い推論。続けて」

「ハルヒが世界はつまらない、だから変えたいと願う。すると周囲がハルヒを楽しませる。その周囲たる世界が変えられているのか、あるいはハルヒを変えさせているのか。その判断はつかないがな」

「非常に逆説的な思考、その考えは否定できない。そしてあなたが言うように、肯定する材料も存在しない」

 変えられているか、変えているのか。受動的な存在であった我々が、今は変わっている。

「古泉一樹が言うような前者の推論は絶望から生じる。しかし、あなたの推論は、希望がある」

「ありがとよ」

 キョンが言いたかったのは、おそらく一つだ。ハルヒによって動かされているのか、あるいは自発的に動いているのか。長門は言った。前者は絶望で、後者は希望だと。

「だから、行くのさ。俺の心情までハルヒに操作されちゃたまらないからな」

 学校の坂で、長門と別れた。坂を上る。どうして俺は行くのだろうか。そんな自問に、もう答えは出ていた。それはきっと、彼女が望んだからではなく――――

「待って。忘れ物」

 この俺自身が、望んでいるのだ。そう、信じていた。

 背後に迫った長門から渡される紙袋を受け取り、再び歩み始める。長門は、来ない。

 学校のセキュリティと残っている教師の気配を回避し、廊下に出た。ひどく、動きにくい。そして難しかった。廊下に出て、文芸部室を目指す。

 西棟はまったくといっていいほど監視も巡回もなく、あっさりとキョンは部室に辿り着いた。わずかな光。まるで長門の言う希望のようだ、と思った。呼吸。ひとつ、空気を吸ってからドアに手をかける。

 ――――緊張。誰だっかな、サンタなどいないと大見得切ったヤツは。

 

 ハルヒは、驚いたように目を見開いた。わずかに、赤い。そして頬に残る悲しみの残滓。寝そべっていた体を起こし、スカートを押さえて座った。その様子を見て、ずきり、と。キョンの芯が痛みを発した。思わず、セリフを発することさえ、忘れた。

「――――キョン?」

 付け髭を外し、荷物を降ろし、ため息をつきながらキョンは変装を解いた。出オチのようなものだ。身分がバレた以上、これ以上、朝比奈みくるばりの扮装をする必要もなかった。

「あははははっ!アンタ、何考えてるのよ!」

「……予想できたが、さすがに腹が立つな」

 赤いコートを脱ぎ捨て、爆笑を続けるハルヒに近寄る。暗い室内。クリスマスツリーの電飾だけが、部屋を灯していた。まるで、閉鎖空間だ。それもハルヒが作った、ハルヒ独りだけの孤独な空間。それは宇宙人でも超能力者でも、未来人でも、壊すことは出来ない。

 だから、それを壊すのは。

 

「――――言ったろ、お姫様。サンタ連れて来いって」

 

 サンタは現象だ。存在ではない。人を喜ばせようという気持ち。それが生み出す、愛情の奇跡。キョンがサンタクロースになるのに不思議はない。むしろ、必然だ。涼宮ハルヒのためだけのサンタクロースに、なる。

「ま、一日早いけどなっ」

 キョンは照れ隠しのように微笑し、いまだ座り続け、目を丸くしているお姫様の隣に座った。小さなツリー。だが座れば、大きく見えた。この光景を、ハルヒはずっと一人で見ていたのだろうか。そう考えると、痛い。

 日付はまだ12月23日。クリスマスにもイヴにも届かない。せっかちなハルヒのためのサンタなら、それも仕方が無いというものだ。

「ハルヒ――――?」

 彼女は、何も言わなかった。見開いたような目。その端に、涙を溜めて。さらに言葉を紡ごうとしたキョンに体当たりをするように、飛び込んだ。

 胸に。まるで、すがる子供のようだ。

「うるっさい。泣いてなんか、いない」

「何も言ってないんだが」

「なら、喋んな……バカ」

 消え入りそうな声で、罵倒をして。ハルヒはキョンの背中に腕を回し、しっかりと掴んでいる。顔は見えない。鼻腔をくすぐるような香りと、甘い雰囲気に溶けそうになる。何も動くものはない。何も喋ることもない。黙って、静かに、時間と熱を共有するだけ。

 熱くなる。頬を寄せられた胸を通じ、心に熱が灯る。キョンの心臓の鼓動は早く、大きく響く。部屋中に響くと思わせるような鼓動。空気が足りない。体が、硬い。

「……そうだ、忘れてた」

 静寂を打ち破り、キョンはようやく呼吸を再開したような気がした。手を伸ばし、長門から渡された紙袋を掴む。中に手を入れ、包みをひとつ取り出した。

 他にも足りないと言われて買い足したオーナメントなどが袋に入っていた。北海道で買ったものだが、すでにバックから移し変えてあった。

「サンタさんからのプレゼントだ」

 胸の中で、ハルヒが顔をあげる。渡そうとした瞬間、ある記憶が蘇った。

 これは、キョンが選んだプレゼント。だから朝比奈みくるは長門に持たせた。なら、その内容は――――!

「……ちょっと、キョン」

「失敗だ。すまん、間違えた」

 バブル・ヘッド人形を袋に突っ込む。この空気でこんなモノを出せば、おそらくあちらの世界で古泉が死ぬ気がした。代わりに、朝比奈みくるのために買ったお土産を取り出した。いや、おそらく口実だろう。本当に渡したかった人は、きっと。

 抱かれる。雪の国にあったテディベアは、12月らしいいつかのコスプレと同じ姿だ。

 

 彼女がぽつり、と弱音を漏らしたのは、それからのことだ。体を離そうとするキョンの顔を、ハルヒは見上げ、涙の跡が残る目尻をキッと吊り上げた。

「……抱っこ」

「はァ?」

「この際、キョンでも我慢するわ。いーから、命令。アンタいまサンタでしょっ」

 顔を上気させている理由が、怒りなのか照れなのかキョンにはわからなかったが、こうなったハルヒを止められないと理解している。いや、もちろん。こうならなくとも止められないのだが。何より、そんなハルヒはいつもより数倍、魅力的で。言われるまま背後に回って優しく、抱きしめてみる。

「まぁ、サンタだからな。それに団長様の命令には逆らえないんだ、俺」

 後付けで言い訳のような言葉を吐き、密着した彼女を見る。背中越しに見えた横顔。話し始める。感じていた疎外感。クリスマスの罠など、低い声で色の無い声で。

 弱いのか、強いのか。キョンにはよくわからなくなった。涼宮ハルヒはまるで他人のことなど構わない超人である。ただ、自己のためだけに。ただエゴの追求のために。周囲や世界、社会を気にもかけず、走り続ける。

 だから――――寂しくないはずがない。幸福を追求し続ける彼女だから、現在が満ちているはずがない。腕の中にいる強き彼女は、今、まさに涼宮ハルヒ自身だ。彼女が求めるような「特殊」ではなく、普通な女性だった。

 今こそ、何かを伝えるべきだ。いつかは言えなかった彼女の独白に、今こそ答えを。

「お前は、変わっている。だから俺たちも、変えられたのさ。楽しい方向にな。だから今度は、俺たちがお前を変えてやる。古泉や朝比奈さんが避けるのも当たり前じゃないか。イベントってのは準備してる段階でバラしてしまえば面白くなくなるからな。今日だってそうだ。見事に、ハメられちまったってワケだ」

 真意がどこにあったのかはわからない。ただ朝比奈みくるは近所の子供たちとクリスマスを祝うといってキョンを連れ出し、買い物をさせ。古泉はハルヒを騙しながらサプライズの機会を狙っていた、というところだ。明日の午後、集まって何かを企み、25日が本番だったのだろう。

「悔しいわね。もう、待ってるだけは、イヤなのに」

「だったら、逆をつくか?」

「ええ、望むところよ。見てらっしゃい」

 涼宮ハルヒの逆襲である。すっかり元気を取り戻したハルヒは立ち上がり、キョンの袋の中からオーナメントを引っ張り出した。明日の午後。彼らが来る時に驚かせようと。クリスマスツリーに過度な装飾を施し、部屋中を彩る。

 ほどよい疲労感がキョンを支配している。明るく楽しげに電飾を振り回すハルヒを見て、いつしか、こちらも笑顔になる。

 ああ、そうか。確かにハルヒは、世界を変える力があるのかもしれない。

 望むまま、俺もいつしか幸せに――――

 

「これは、ええ。涼宮さんは大したものです。計画を見事に壊されましたね」

 朝、部室のドアを開けた古泉がいつものポーズで首を振った。

 集合は午後からだったが、長門とみくるを含めた三人は早くも文芸部室に集まった。午後、ハルヒを驚かせるための最後の仕上げだ。それぞれが前もって用意していたプレゼントを手に持ち、午後に来るだろうキョンと共にハルヒを。

「……違う。壊したのは、」

 長門は眠りこけるキョンの頬に手を置いた。わずかに、痛み。それ以上に、充実がある。

「さすがの涼宮さんも、彼には敵わないということですかね」

 言うと、古泉は手にした袋の中から何かを取り出し、机に向かった。その間、みくるは二人の近くにプレゼントを配置した。眠っている。心地良さそうに、二人が寝ている。顔を寄せ合い、寒さのせいかやや丸まって。熱の伝わるような近さで。

「さ、行きましょうか。いつまでも無粋な真似をするのも、失礼ですし」

 ハルヒが手にしていたテディベアに何かを挟み、それから古泉は二人を連れた。

 この分だと、わざわざ手の込んだイベントをする必要もなさそうだ。いつも以上にニヤついた顔で古泉は退室したが、翌日、彼もまた呼ばれることになるのだった。しかしそれは、また未来の話。今はただ、少しばかり早いクリスマスを祝うだけ――――

 

 

 

 

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