涼宮ハルヒの四夜
一夜

 

 声。誰かの、声がする。まだ目覚ましはなっていないはずだ。惰眠を貪る。睡眠の途中。顔を揺さぶられ、声を脳に響かせ、ようやくキョンは覚醒した。目の前には、涼宮ハルヒの端整な顔があった。

 驚き、上体を起こした。手が触れる感触は大地。土の上。視界は、夜の学校を映し出す。それもどこか、暗い。夜だからという暗さではなく、まるで世界が色を失ったようだ。退廃美。ひどく、薄い。空気も存在も、全てが希薄だ。

 ここはどこ、と不安そうにハルヒは言った。いつもの強気もどこかへ消え失せ、可憐な顔立ちが未知への恐怖で染まっていた。立ち上がる。学校には違いない。そして、いつか古泉一樹が口にし、キョン自身も経験した閉鎖空間というものだろう。

 だが閉鎖空間はハルヒの精神、内面の世界だという。ならばなぜ、本人であるハルヒが存在するのか。そんな理屈はキョンにわかるはずもなく、また混乱した頭脳では考える術さえ無かった。とにかく立ち上がり、周りを探ることだ。ひょっとすると、古泉がいるかもしれない。

 まず校門に出た。カーテンのような幕のような壁に遮られる。どうやら学校の敷地に沿うように、ドーム状に空間が具現しているらしい。敷地内から出ることを諦め、先導して校舎の方向へ向かった。

 生徒玄関。そこで、とんでもないものを目撃した。

 大地揺るがす、重み。石像。なぜ、生徒玄関に石像が。困惑したキョンがハルヒを制止し、まじまじとソレを凝視した。

「……ちょっと、なにアレ」

「二宮さんだな」

 どこの小中学校だか知らないが、とにかく学校の石像といえば二宮さんしか思い当たらない。我が北高に二宮さんがいたのか、あるいは創設者がいたのかわからない。だが石像は、目の前にあった。

 気になってくる。遠目からでは二宮さんらしく見えるのだが、学校に石像があったかどうか、記憶にない。いや、多分無かったはずだ。近寄ろうと一歩前に出ると、ぎょろりと石像の頭が、動いた。

 声にならない悲鳴が、隣から聞こえてきたかと思った直後。その石像はこちらへ向けて、進み始めた。

「おおっとォ!」

 手を、握った。ハルヒの手。気恥ずかしさはほんの一瞬。後はもう、後先考えず、走った。

「見た、キョン今の見た?」

 興奮した様子で、ハルヒはそんなことを口走った。ああ、見たとも。見たからこうして走っているのだ。説明など不要だ、と。背後から響く石像の足音に怯えつつ、走る。

 さすがは、ハルヒである。むしろコレを望んでいたのかもしれなかった。ならば驚くこともない。むしろ、喜ばしいことだ。だがキョンには生命の危機でもある。確実に、あの走る石像はこちらに向けて移動しており、なおかつ、明確な敵意をキョンの背中に突き刺していた。

 不意に、重低音が止んだ。キョンも止まる。振り返る。

 

 暗い。影。腕。石像はキョンの眼前にて、その両腕を天へ向かって突き上げていた。振り下ろされる、間際。灰色が見えた。石。違う。人の――――髪。

「……二宮金次郎。本名、尊徳。読み方はたかのり。江戸時代、報徳思想を以って農政改革を行った思想家」

 機械のような解説を受け、両腕を交差させ、石像の攻撃を受け止める女子生徒。足が、コンクリートの地面に埋まっている。長門有希。こんな状況で登場し、かつ、二宮金次郎の解説を入れるような人物はただ一人である。

「――――跳んで」

 横。石像はすでに体勢を変えている。大きく振りかぶり、石の本で長門の側面を攻撃に入る。キョンは後ろ、言われたとおり背後へ飛んだ。無論、ハルヒも共にである。距離。およそ五歩。長門は前進した。

 長門が、止まった。おそらく何かを呟いているのだろうが、十歩に離れたキョンの位置からでは聞こえなかった。言い終えるかどうか、際どいところで左腕を垂直に折った。石像の本がブチ当たる。わずかに、長門の体が泳いだ。

 同時。右腕が伸ばされる。拳ではなく、掌。石像のほぼ中心、腹部を圧する一撃を長門は放つ。石像が動く。否、滑る。後方へ弾かれるように、足を滑らせて後退した。

 左腕。長門の左腕が、だらりと落ちた。体の内側へ捻じ曲がっている。おそらく、折れたのだろう。だが彼女は気にする様子もなく、右腕で構えた。剣。あるいは棒かもしれない。鋭く長い得物を持ち、長門有希は石像と正対した。距離、およそ二十歩。

 そして、膠着。長門も石像も、本物のように石像と化した。微笑する二宮。対する長門は、おそらく無表情。だが、その目は絶えず、何かを探っている。

「絶対に。そこを動かないで」

 声がした。言われなくとも、キョンの体はガチガチに固まっている。こちらこそ石像のようだった。

 飛来。石像が、投擲をした。投げる刃は背に負った百の薪。空の手で掴み、そして投げる。渾身の力での投擲。石の薪は回転することさえなく、直線に、突き刺すように長門へ肉薄する。

 数が、増えた。二つ、三つではない。十、二十と回転するように石像の腕は振るわれた。まるで、機関銃。長門は呼吸すらせず、ただ目を見開き、手にした刃を宙に投げた。持ち替える。逆手。握った瞬間、旋風が起きる。

 一つ、落とす。二、三、撃墜。四、五と連撃して礫を弾く。当たれば、おそらく致命傷。だが長門は、足を一歩も動かすことなく、直立したまま右腕だけを振るい続けた。正確に、迅速に。右腕が踊るように舞った。

 そうしながら、長門は一歩、前に出た。二歩、三歩。髪が揺れる。セーラーが、靡く。

「残弾、十八。標的確認、破壊する」

 十七、十六。撃ち落とす。長門は前に。石像は、後退することをしない。動けば、石の雨は止まるだろう。そして前進を防ぐには、投げ続けるしかない。回転が、上がった。弾丸が加速する。弾数も増える。残り、十。

 不意に、長門の体が、横を向いた。違う。右腕を、前に。ノーモーションで放たれる、神速の投擲。右、逆手に持った刃を目に映らぬ速度で放つ。石像。命中、薪が落ちた。

 返す。右腕を体の内側に。まるで抜刀するように、居合の如く体勢で、長門は敵へと肉薄する。低く、低く。地面を這うような、風。右腕には再び、先刻、投擲の剣――――!

「―――――」

 襲い来る、下段よりの巻き上げ。石像はそんな、勝者たる少女を見下ろし、最後の一発を、投げた。

 本――――長門の好きな、本。それが彼女の頭上より、垂直に落下する。

「……歴史書は、興味がない」

 首を、横に。左肩に本が落ちた。視線は、上。石像を見上げ、だが、それで終幕。長門が切り上げた剣は石像を斜めに切断し、少女は天を蹴る。上空、上昇。どうかこのまま、空に届かんと。空という地を蹴り飛翔する。

 剣を、真下に。倒れた石像目掛け、今度は少女が舞い落ちる。

 石像の裂かれた腹部、その脊椎を貫き、大地に突き刺す。終わる。これで、動けはしない。転がった胸部より上半身を見下ろし、長門は拳を振り下ろした。頭部を粉砕し、そのまま彼女は地面に座った。本の表題でも見ようとしたのか、地面に目を落としたままで。

 ――――それで、気付いた。石像には、「死」などないのではないか、と。

 もし長門がコンピューターで、アンドロイドなら。ヒトではないというなら、まったく同質。無機質の存在同士の争闘だ。それはかつての朝倉涼子との死闘のように。終わりなど、見えない。

 石像。砕かれた頭部以外が、動き出す。首の無い二宮金次郎。何度でも、幾度でも死を超越して襲い来る魔なる「物」である。長門の背後で挙動を示し、そこでもう一つ、気付いたことがあった。

 眼鏡である。いつからか、無くなっていた長門のメガネ。久しく見ていないな、とキョンは場違いに思った。読書好きな無口な少女。そのトレードマークのような、メガネを長門は、している。

 立ち上がり、彼女はその象徴に手をかけた。

「私は――――貴方の死の、線が見える」

 赤い線。亀裂の走った、石像があった。すでに均衡を崩し、今にも倒れそうに、しかし倒れながらでもあの敵は長門を圧殺しようとするだろう。その重さで、少女を押し潰す凶器となる。

 長門の眼が、青く輝いている。剣は逆手。石像を斬ったことで、折れている。刃渡りはほぼ、10センチ強。まるで短刀になったソレを逆手に持って、長門はただ、歩んだ。石像の横を、倒れる寸前に。

 四散。否、十七。石像が十七に解体され、崩れた。長門の背中だけが、キョンに見えている。それ以外、無い。戦いは、終わった。もうハルヒの邪魔をする者はいない。

 空には、月。長門は空に想いを馳せているのか、あるいは郷愁か。ただ空だけを見て、キョンも同様に、見上げてみた――――

 

 ああ、気付かなかった。

 今夜はこんなにも――――月が、綺麗だ―――――

 

 (涼姫 プロローグ   長門さん家のシキちゃんルート)

 

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